人にモノをススメルとかいうのが嫌いだ。注意して「小沢健二」を見てる人がいたら気づくように、
僕は「オススメの○○」とかを言わない。そういうのはカッコ悪いと思っている。よく理由は分からないけど、
なんかダセーじゃん? エラソーじゃん? 説教クサイじゃん? と思っている。
あ、これは自分のことね。「当店のオススメの暖房器具」とかは、うーむそうかあ、とか思って買う。
ただ僕は「オススメの○○」に漂う、セコくてエラソーなムードが、なんか生理的に苦手なのですよ。
別に「オススメ」するほどモノ知らないし……。
あ、でもすいません。『オリーブ』に出て「オススメの○○」を語ってる人を攻撃してる訳じゃないです。
だってスタイリストに「オススメ」されれば、おっ着てみようか、とか思って、そうだ表紙のように楽しい写真だって撮れる訳だし、
表紙といえば、ヘア&メイクの佐藤さんの、「マニキュアのオススメ」は断わったけど、それだって、
おっマニキュアなんてものもあるのか、と新鮮な気分にはなったりする。
食事に行ったら「オススメ」のなすがままである。タクシーに乗ったら「オススメの道」にまかせて、
自分からどうだこうだは言わない方だ。
という訳で、この世の経済活動は、「善意のオススメ」を基盤に成り立っている、のかもな。
石油王なんかもターバン巻いて、「オススメの石油はこっちでガス」なんて言ってん……。で、
そういう「オススメ」はほんと助かります。フー。(汗ふいてごまかす。)
そんで? 何の話だっけ? ああ、でも僕はしない訳です。
それにしてもよく来る依頼が「好きな本」「最近観た映画」「よく聴くCD」。雑誌やテレビでそういうのを答えると、
実質的にオススメになる訳だし、ファンが全員自分のように成ればいいとか思ってるスゴイ人は別だが、
どーもそういうのってエラソーで……。
でもそんなのって考えすぎかもな。「へーこんな映画好きなんだあ、意外にダサいわね」とか、そんなもんなのかも。
「あーこんなの聴いてるから駄目なのよー」とか。うん、多分そうだ。
東大文学部とかいうと、よっぽど本読んでんじゃねえかと思われる。で、東大云々は全く関係なく、
そーいや子供のころわりと本読んでた。しかし「何読んでた?」と聞かれると、だいたいはまず答えないか、
強力に強要された場合、どーも照れ屋サンなので、いやーあんなものも読もうとして恥ずかしい、
と思うようなものから答えちゃったりする。僕が哲学書を読んでたとかいう話は、@それぐらい字が書いてあれば何でもよかった
Aそれぐらいダサイものも読んだねアッハッハ(恥)、という2点を説明したつもりが、
うーん特にAのポイントとかは感覚的なものだからな。インタビューアーとかに誤解されてもしょうがねえだろうな。
けどそんなものが、「小沢健二を語るカギ」みたいに語られちゃっても困りますなあ……。
僕がほんとうに10代のころ好きで読んでたものって、当たり前のものばっかりだ。おこづかいが少なかったから文庫本ばっか読んでたし。
「オススメ」だって思わないでくれるなら教えてあげるけど、「日はまた昇る」とか「ギャッツビー」とか読んで好きだから英米文行ったわけだし、
「8月の光」は大学入ってから読んだんだけどカッコイイと思った。高校の頃、なんかだせいで読んでたのはディケンズで「大いなる遺産」くらいならいざ知らず、
「デビット・カパーフィールド」を全部読んだのはほんとだせいとしか言いようがない。うーん長い話が好きなのね、オレ……。
で、そうやって思い出すと、読書にも色々ある訳ですが、子供のころの僕は、ただ「お話」が好きなだけであった。
しかも、アメリカ・イギリスのものばっかりだったのはなぜだろう? 日本の翻訳事情に問題があったのではないかしらん?
で、この問題をさらに考えると、なんで僕は探偵小説のレイモンド・チャンドラーを、全部読んでるんでしょう?
「長いお別れ」とかは、今でもまた読みたいし、ロバート・アルトマンが映画化したやつは、筋はともかく、セットが好きだ。
松田優作の「探偵物語」みたいになっちゃってんだよね……。探偵ヘナヘナだし……。
しかし子供の頃の読書、というと思い出すのは文庫本ばかり。おこづかい少ないし、お店からちょっと失敬するにも手頃だったが、
今思えばお店の人も見て見ぬフリしてくれてたのかもなあ。お店の人、有難うございました!
うーん、子供の頃はずいぶん活躍していたな! 音楽もいっぱい聴いてたし。「痛快ウキウキ通り」なんて、
中学生のころ聴いてた「モータウン・レコード」のカセット(シュープリームスや、スティービーワンダーや、フォー・トップスや、
マーサ&バンデラス……ドキドキするぞ!)がなかったら書いてないな。ただし、僕が今中学生だったら、
ぜったいオザケン聴いてる。うん、それは間違いないです。
本の話に戻ると、別にアメリカのものばっかり読んでた訳じゃないけど、うーん多かったな、アメリカの。(どっちなのよ?)
でなんだ? 音楽とかもそうだな? と思いながら、僕は柴田元幸先生の待つ東大文V、あ、別に柴田先生は待っちゃあいなかったと思うし、
こんな恩知らずな生徒は持ちたくもなかったと思うが、に入る訳です。
どうかなあ? こういう話。面白ければまたしてもいいけど、あんまりインタビューとかで言うと、
変な風にとる人たちがいるからね……。
まあ、たまにはいいでしょ、たまにはね。
それで僕は思うんだけど、たとえば僕が一生懸命本を読んで、誰かが一生懸命スポーツをしてる時、
僕らは同じことをしてるんですよ、きっと。
えーと、同じことを探求している、というか、たとえばある球があって、(何の話なのよ?)その体積を測る時に、
水張ったお風呂に沈めて測る人、直径を測って測る人、いろんな人がいるけど、結局答えはだいたい一緒であるように、
方法の違いってのは、別にどうでもいいんですよ、きっと。
本読む人、ゲームやる人、アメフトやる人、役者やる人、現場監督、トーフ作る人、なんかだんだん話が変になってきたが……。
だから、小沢は本読んでんのか、すごいなあ、とかじゃないんですよ。だって僕はアナタがハードル跳ぶのすごい得意だとして、
えーと跳び越す瞬間にどんな風景が見えて、どんな気分がするのか、味わってみたい訳です。ゲームとかがすごい得意な人が、
ものすげー技とか使う時も同んなじ風に思います。そんで僕は音楽をやっていて、今度は逆にアナタは僕に憧れるかもしれない。
でもねえ、僕は本当はアナタが何をやってんのか知らないけど、えーとさっきの「球の話」で言うと、
同んなじ球を測ってるような気がするんですよ。で、誰もその球の答に特権的に近い人はいなくて……、
とだんだん話がややこしくなってきたゾよく分からんゾえーとこの時期にごまかす言葉はというと……、あった。
(大声で)メリー・クリスマース!
|
|