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連載30:たまにはいいでしょ、たまにはね。
人にモノをススメルとかいうのが嫌いだ。注意して「小沢健二」を見てる人がいたら気づくように、 僕は「オススメの○○」とかを言わない。そういうのはカッコ悪いと思っている。よく理由は分からないけど、 なんかダセーじゃん? エラソーじゃん? 説教クサイじゃん? と思っている。

あ、これは自分のことね。「当店のオススメの暖房器具」とかは、うーむそうかあ、とか思って買う。

ただ僕は「オススメの○○」に漂う、セコくてエラソーなムードが、なんか生理的に苦手なのですよ。 別に「オススメ」するほどモノ知らないし……。

あ、でもすいません。『オリーブ』に出て「オススメの○○」を語ってる人を攻撃してる訳じゃないです。 だってスタイリストに「オススメ」されれば、おっ着てみようか、とか思って、そうだ表紙のように楽しい写真だって撮れる訳だし、 表紙といえば、ヘア&メイクの佐藤さんの、「マニキュアのオススメ」は断わったけど、それだって、 おっマニキュアなんてものもあるのか、と新鮮な気分にはなったりする。

食事に行ったら「オススメ」のなすがままである。タクシーに乗ったら「オススメの道」にまかせて、 自分からどうだこうだは言わない方だ。

という訳で、この世の経済活動は、「善意のオススメ」を基盤に成り立っている、のかもな。 石油王なんかもターバン巻いて、「オススメの石油はこっちでガス」なんて言ってん……。で、 そういう「オススメ」はほんと助かります。フー。(汗ふいてごまかす。)

そんで? 何の話だっけ? ああ、でも僕はしない訳です。

それにしてもよく来る依頼が「好きな本」「最近観た映画」「よく聴くCD」。雑誌やテレビでそういうのを答えると、 実質的にオススメになる訳だし、ファンが全員自分のように成ればいいとか思ってるスゴイ人は別だが、 どーもそういうのってエラソーで……。

でもそんなのって考えすぎかもな。「へーこんな映画好きなんだあ、意外にダサいわね」とか、そんなもんなのかも。 「あーこんなの聴いてるから駄目なのよー」とか。うん、多分そうだ。

東大文学部とかいうと、よっぽど本読んでんじゃねえかと思われる。で、東大云々は全く関係なく、 そーいや子供のころわりと本読んでた。しかし「何読んでた?」と聞かれると、だいたいはまず答えないか、 強力に強要された場合、どーも照れ屋サンなので、いやーあんなものも読もうとして恥ずかしい、 と思うようなものから答えちゃったりする。僕が哲学書を読んでたとかいう話は、@それぐらい字が書いてあれば何でもよかった Aそれぐらいダサイものも読んだねアッハッハ(恥)、という2点を説明したつもりが、 うーん特にAのポイントとかは感覚的なものだからな。インタビューアーとかに誤解されてもしょうがねえだろうな。 けどそんなものが、「小沢健二を語るカギ」みたいに語られちゃっても困りますなあ……。

僕がほんとうに10代のころ好きで読んでたものって、当たり前のものばっかりだ。おこづかいが少なかったから文庫本ばっか読んでたし。 「オススメ」だって思わないでくれるなら教えてあげるけど、「日はまた昇る」とか「ギャッツビー」とか読んで好きだから英米文行ったわけだし、 「8月の光」は大学入ってから読んだんだけどカッコイイと思った。高校の頃、なんかだせいで読んでたのはディケンズで「大いなる遺産」くらいならいざ知らず、 「デビット・カパーフィールド」を全部読んだのはほんとだせいとしか言いようがない。うーん長い話が好きなのね、オレ……。 で、そうやって思い出すと、読書にも色々ある訳ですが、子供のころの僕は、ただ「お話」が好きなだけであった。 しかも、アメリカ・イギリスのものばっかりだったのはなぜだろう? 日本の翻訳事情に問題があったのではないかしらん? で、この問題をさらに考えると、なんで僕は探偵小説のレイモンド・チャンドラーを、全部読んでるんでしょう? 「長いお別れ」とかは、今でもまた読みたいし、ロバート・アルトマンが映画化したやつは、筋はともかく、セットが好きだ。 松田優作の「探偵物語」みたいになっちゃってんだよね……。探偵ヘナヘナだし……。

しかし子供の頃の読書、というと思い出すのは文庫本ばかり。おこづかい少ないし、お店からちょっと失敬するにも手頃だったが、 今思えばお店の人も見て見ぬフリしてくれてたのかもなあ。お店の人、有難うございました!

うーん、子供の頃はずいぶん活躍していたな! 音楽もいっぱい聴いてたし。「痛快ウキウキ通り」なんて、 中学生のころ聴いてた「モータウン・レコード」のカセット(シュープリームスや、スティービーワンダーや、フォー・トップスや、 マーサ&バンデラス……ドキドキするぞ!)がなかったら書いてないな。ただし、僕が今中学生だったら、 ぜったいオザケン聴いてる。うん、それは間違いないです。

本の話に戻ると、別にアメリカのものばっかり読んでた訳じゃないけど、うーん多かったな、アメリカの。(どっちなのよ?)

でなんだ? 音楽とかもそうだな? と思いながら、僕は柴田元幸先生の待つ東大文V、あ、別に柴田先生は待っちゃあいなかったと思うし、 こんな恩知らずな生徒は持ちたくもなかったと思うが、に入る訳です。

どうかなあ? こういう話。面白ければまたしてもいいけど、あんまりインタビューとかで言うと、 変な風にとる人たちがいるからね……。

まあ、たまにはいいでしょ、たまにはね。

それで僕は思うんだけど、たとえば僕が一生懸命本を読んで、誰かが一生懸命スポーツをしてる時、 僕らは同じことをしてるんですよ、きっと。

えーと、同じことを探求している、というか、たとえばある球があって、(何の話なのよ?)その体積を測る時に、 水張ったお風呂に沈めて測る人、直径を測って測る人、いろんな人がいるけど、結局答えはだいたい一緒であるように、 方法の違いってのは、別にどうでもいいんですよ、きっと。

本読む人、ゲームやる人、アメフトやる人、役者やる人、現場監督、トーフ作る人、なんかだんだん話が変になってきたが……。

だから、小沢は本読んでんのか、すごいなあ、とかじゃないんですよ。だって僕はアナタがハードル跳ぶのすごい得意だとして、 えーと跳び越す瞬間にどんな風景が見えて、どんな気分がするのか、味わってみたい訳です。ゲームとかがすごい得意な人が、 ものすげー技とか使う時も同んなじ風に思います。そんで僕は音楽をやっていて、今度は逆にアナタは僕に憧れるかもしれない。

でもねえ、僕は本当はアナタが何をやってんのか知らないけど、えーとさっきの「球の話」で言うと、 同んなじ球を測ってるような気がするんですよ。で、誰もその球の答に特権的に近い人はいなくて……、 とだんだん話がややこしくなってきたゾよく分からんゾえーとこの時期にごまかす言葉はというと……、あった。

(大声で)メリー・クリスマース!


連載31:呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン(意味ナシ)。
アラビアンナイト!千夜一夜物語!「痛快ウキウキ通り」を聴いた人は、突然歌詞の中にでてきて、ン?何の話なのよ、と思ってるかもしれません。
で、アラビアン・ナイト。僕も有名な話しか知らない。面白そうだから全巻買ってはみたものの、部屋のスミに積んである。 アラジン?呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン?東京12チャンネルとかで朝やってるアニメーションとか、 いいとこディズニーの"アラジン"とか思っちゃうくらいで、そりゃあね、コホン、食事のおともに文庫本持っててめくったことくらいありますけどね…。
そんで当たり前だけど、あれ、別に1001の物語が語られてる訳ではなくて、あ、そんな風に思ってる奴はいねえか、 1晩に語られてる物語は前の晩の続きで、終わりは次の晩につながってるんですよ。だから1晩の物語は終わりもなくて始まりもない、あれ?何の話なのよ?というくらいのものなんですよ。

で、生というのはそんなようなもんなんじゃないかと。

そんで「長い長いアラビアン・ナイト/ほんの一夜の物語を行こう!」ってな訳です。めずらしく歌詞の解説なんかすると。


連載32:お願いは一つ笑顔で応えてと!
しかしコンサートに来たことあることがあるあなたは、こう読んでいて既に不安であろう! 開演時間を6時?6時半?などと聞いてる男。噂通り遅れるのではあるまいか…・。 特に初日(2月29日)あたりはかなりアブナイのではないか…。危惧が当たった場合には…。
(小沢、登場して)
遅れてゴメン!

(大観衆、それに応えて)
残念無念!

こんなこと書いてるから遅れるんだっつーの。

遅れナイゾ。


連載33:レヴュー96
僕はコンサートをやると、なんていうか、敬虔な気持ちになるんですよ。
僕らの生きている時間が一瞬交差する。そこは言って見りゃ人生交差点。うーん、だめだこりゃ。

"喜びを他の誰かと分かりあう!それだけがこの世の中を熱くする!"おう!熱くするともさ!大きい会場だと"他の誰か"が 1万人とかいるんだからね。

僕らは同じ時を生きてる訳だが、なかなか会う時がない。あなたが会場に入ってあたりを見回すと、 お、あいつはかなりいい奴だ、という奴に出くわすであろう。 しかしそいつとはたぶん人生で一回くらいしか会わない。それぞれの暮らしがあるって訳だ。

それぞれに美しい人生があるのだ。


連載34:オザケンに会ってしまったら
CDを作ったり、テレビに出て歌を歌ってる時、そういうことをするのって、1対∞(無限大)の関係にあるんですよ、 たぶん相手とは。だって誰が聴くか、誰が見るかなんて分かんないでしょ。少なくとも僕はそう思ってます。
でもそれが実際に、そうだな例えば薬のように?はたまたあまーいパフェとかなんかそんなもんのように? 作用するのって、絶対に1対1か、せいぜい1対4とか、なんかそのくらいの規模だ。ある時に、ある場所で、ある人が聴くか見るかして、 その時の今現在に作用する。大きな規模で(例えばテレビとか)送られたものでも、 それを感受するのはまったく小さな規模の(個人とか友達同志とか)顔のある、1人ずつオリジナルな顔を持つ、 本当に生きている人なんだなと思いますぅ(語尾意味ナシ)

たまに「大衆」とかいう言葉を使って、なんか分かったような事を言ってる人がいますが、 僕はそんな、「大衆」とかいうノッペラボーの巨人、「ゴーストバスターズ」に出てくる マシュマロマンのような人を連想するが…、そんな人がいる訳はないと思っているんですよ。

もうほんと、いっつも1対1なんだと、思ってんですけどね。

で僕という1は、その相手の1と、おう!結構"他の誰かと分かりあ"えてんじゃん!と思うことが多いんですよ、実は。

だってよく街歩いてて、すいません握手して下さい、とか怖る怖る頼んでくる奴に限って、パッと顔見るとかなりいい顔してる。 一目見ただけで、おっお前絶対いい奴な、って感じの顔が多い。あれ?オレがだまされてんのかな?オレが人いいだけ?

(ちょっと悩む)

いやそんな筈はない。ぜったい多いんです。いい奴が。で、そういう時ってほんと、いつも1対∞でやってる事が、 1対1で作用してる、その1の顔が見えて、ハッと思って、なんかドキッとするし、いい感じなんですよ。

現在を分かちあってる相手の顔が見える訳です。


連載35:ドゥワッチャライク
ふつうの文、つまり"オザケンのこと"なんてエッセイなんかが書けるようになったことってのは、 そうだな、例えば"痛快ウキウキ通り"なんて曲が書けるようになったことなんかにもつながってくる。 そんなことを言や、連載第一回に、生まれて初めて「歌詞」じゃなくて「詩」、まじ?なんて感じで、 ほんと初めて「詩」なんて書いてみて、「今後はホクロをラブリーと呼ぶ」なんてのを書いて、 もうすごく、言葉の持つ力とか、言葉が「詩」みたいなものになる感じ、 なんかそんなようなことについてドッキリするくらい良く分かって、ほんと自信にもなったし、良かったんです、とにかく。
それで胸をはって、"痛快ウキウキ通り"なんか書いちゃって、なんだろうな、僕は友だちと話したりしたことが積み重なって、 自分の音楽とかって出来ていってるような気がするんだけど、実は"ドゥワッチャ"も「だんだん仲良くなってきた友だち」って感じで、 うん、僕は本当に友だちと話すようにリラックスして、この連載を書いてます、最近。

まあ友だちでも最初はスグ仲良くなれないように、この連載も原稿落ちたりしてた訳だけど…。

でも最近はほんとに、普通に書いてるな。

友だちでもそうか。最初ってカッコつけるもんな。突っ張っとくっていうか、そういうことを僕は今もよくやる。 やる人は多いと思う。やるだろ普通。そんなもんだろ人間。


連載36:済まない気持ちはサルにもあるとか言うけれど
僕は、テレビの歌番組に出るのは、別に曲の宣伝とかではなくて、それも1つの作品だと思って、 つまり他の誰かとのコミュニケーションそれ自体だと思って出ている。僕や僕の曲を知ってほしい、 とかいう理由で出ているのでは全く無くて、その瞬間を、音楽を通じて誰かと分かちあおう、 と思って出ている。たまたまテレビを見ていた人と。それを入り口にして、僕のCDを聴いてもらおう、 とかそんな風には思わない。CDを聴いてくれたら嬉しいけど、聴かなくたって、テレビを見ていた瞬間に感じたことが減る訳ではない。


連載37:ぼくの叔父さん
「現役バリバリの日本代表キャプテン」に「ユース代表の問題児」ごときが何を言ってやがんだと思うかもしれないが、 全然「競技種目」が違うにもかかわらず、それは表面的な「音楽をやってる」とかそういう事ではなくて、 表現を人前に捧げるその姿勢、とか言えばいいのか、なんかそんなよーな抽象的な、でも根本にある姿勢が、 僕は小沢征爾さんにすごく似ているんじゃないかと、ある時思って、ドッキリした。
それにしても駆け出しは駆け出し。叔父さんはこれからも芸術家として成長を続けながらたくさんの人たちに生命が震えるような感動を与え続けるだろう。 そんで僕は?僕の「音楽武者修行」を、今一生懸命続けてるってわけだ。


連載38:コンサートを終えて
うーん、でもやっぱり、体感したことを、それ以外の方法で表現しようとしたって無理だよな、基本的に。
そういえばそれに似たことが、今回のコンサートの中であった。曲の途中で、 大観衆1万人くらいが一斉に特殊な紙吹雪を投げる、というシーンがあって、 そのシーンが毎回恐ろしく感動的で、もう1分くらい紙吹雪に包まれてる様な気がするんだけど、 後でビデオを見るとあれ?って感じで、実は時計の時間で言うとほんの5秒くらいの出来事で、ビックリする。 アメリカ人の照明スタッフなんか、初日が終わってアメリカ帰って奥さんに、 どうだ!なんて勢いこんでその部分のビデオを見せたらWHAT?なんて言われちゃったらしいし、 あれおかしーな、と体感した後でビデオを見た皆んながそう言っていた。人間にとって時間は、 時計の針が進むように均一に進むのではない。

本当にコンサートでは、たくさんのことを感じます。でもその、なんというか本当に言葉で表現しても上手く言えないので、 細かくは書かないことにします。

「流れ星ビバップ」という僕の曲があって、えーと流れ星ってのは願い事を口に出しては言わないで願い事をかけるものでしょ? 口に出したって間に合わないし。で、そのことの様に、もどかしくイライラとしながらも 「口に出さないこと」「黙っていること」「もう子供じゃないなら」、 というのが通称「ビバップ」こと「流れ星ビバップ」の主題で…・。

コンサート本編の最後にやったその曲に倣って、感じた事や感謝したいことは一杯あるけど、黙っていることにします。

皆さん素晴らしい時間をどうも有難う。


連載39:失敗について
失敗とは上手く付き合わなくっちゃダメだ。それは宝くじの当たりみたいに、必ず入っているもんなんだから。
一番ダメなのは笑ってごまかしちゃう人。失敗を笑ってごまかして、成功にマジメな顔して何か意味を持たせよーとする人。 そんなダサい人に僕はなりたくない。成功こそ笑ってごまかしてしまうべきだと思いませんか?

失敗はもっと、ブルー入ったり、反省したり、一瞬でネガポジ逆転したり、おおっぴらにやるのは変だけど、 内面的には、ちゃんと味わわれるべきものだと思う。


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