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連載50:隠し絵の世界



連載51:すかさずお茶を入れろ
世の中には、すかさずお茶を入れる、というタイミングが存在するように思う。
まあ大体は、甘味なんかを買った時かな。暇な日に、友人がボタモチなんか持ってフラリと現れたら、 これはすかさずお茶を入れて、アッハッハなんて談笑し、勢いに乗っておろしソバでも食べに行きたい。

そしてソバと言えばサイダーで、サイダー1本くらい飲んでソバもひとしきり終わったら、 今度はソバ屋さんの方がすかさずお茶を入れるタイミングである。僕らはおとなしくそれを飲む。

そんなソバ屋さんの仕事も夕方には終わる。また明日、なんて云ってねばっていた常連さんを帰すと、 チャッチャッと片附けを済ませて、電気を消して、座敷の縁にふぅ、っと座る。 ここでもまたお茶を入れるタイミングである。入れるのはだいたい奥さん辺り。 洒落こんで烏龍茶なんかを入れることもあるが、特別いいお茶じゃなくたっていいんです。

銀婚式や金婚式の夕方。人生に2度くらいしかない、お茶を入れるタイミングが訪れる。 勿論旦那さんの方の出番だ。別に式なんて無くたって好い。お互いに確認することなんかも無いだろう。 食事を済ませた後、お茶でも入れるか、と云って旦那さんはお茶を「入れる」というよりは「淹れる」という感じで、 急須にお茶を注ぐのだろう。


連載52:シャシャミン先生特製インビを3名様に



連載53:夜日本の伝説
夜ふかしの生活をしていると、意外に夜ふかしの他人が多いことに気がつく。最近はあまりそういう生活でもないけど、 僕も以前かなり極端に夜型の生活をしていた。

あれはあれでおもしろい。東京にいて、若くて、遊ぶのが好きな人は、たまにそういう生活サイクルに入ったりする。

もちろん太陽の下の生活は楽しい。気持ちがいい。先日も友だちの結婚式に行って、太陽がバキッと照りつけていて、 空はおそろしく青くて、富士山が物凄くでかくて、その風景の前に、首をかしげて立っている友だちの後ろ姿を見ていたら、 ボロボロと泣けてきてしまった。

その人たちの前に、その太陽の風景のように広けて、人生が始まる。2人で始める。

人が生きているうちに見る、一番眩しいものが太陽である、とはタケイグッドマンの言葉。

太陽はいい。

しかし月もまたいい。その結婚式から帰る道すがら、山あいの高速道路を一人で走っていたら、 もう落っこちそうなくらいに大きな月が出ていて、そうか満月だ今日は、と思って道端に車を停めて、 うす藍い空をずっと見てしまった。ものすごい寒かった。

ちょっといい話はこのくらいで終わり。本当にいい話は、あまり書かないようにする。自分の心の中にとっておくべきものもある。

さて、月がまん丸く出る東京。そこに2人の若者がいて、まったくどうでもいい話をしている。ここ東京ではよくあること。

どんな話かというと、これだけ夜ふかしをしている人がいるのだから、これはこれで「夜の部」として認知して、 夜型の生活サイクルに合うように、社会をつくればいいんじゃないかという話。左官屋さんにも、銀行員にも、豆腐屋さんにも、 いや僕はどうも夜の方が調子がよくて、という人がいるだろうから、だいたい社会は成り立つんじゃないか、という話。

だから、普通の昼の日本社会に対して、12時間差の「夜日本」がある訳である。

「夜日本」に所属する人は、夜7時くらいに起きて、夜8時くらいの電車に乗って学校や職場へ向かう。 「昼日本」の方はその頃退社時間くらいだから、電車の上り下りでちょうど反対になって、混雑も緩和されるだろう。

「夜日本の大人」の子供は「夜日本の子供」。「夜小」に通う。「夜小」の給食は午前0時。まっくらな中でワイワイ食べる。

「夜小」や「夜中」の子は夜目がきく。朝日が昇るころに下校するが、部活の練習なんかで遅くなると、 いやあ昨日昼カンカンまで練習でさ、眩しくて参ったよ、なんて話になる。

「夜日本」から「昼日本」へ引っ越しをする人もいる。会社なんかは24時間営業になってるから、 「営業(夜)」から「営業(昼)」に転勤なんかを命じられる。サラリーマンが家に帰って、オレ転勤になっちゃってさ、 なんて奥さんに言うと、アナタ、とか言って奥さんが泣く。役所に届け出て「昼日本」の家族になって、子供は「昼小」へ。 「コウモリ」とか言われていじめられる。家族みんなで時差が出る。いいことナシ。

そう悲劇的でもない「引越し」もある。朝の10時くらいに駅でゲーゲー吐いてた「夜日本」の酔客を、 遅めの出勤途中の「昼日本」のOLが介抱して、その縁で2人は結婚。「夜の生活に馴染めるかどうか判りませんが」なんて挨拶状を出して、 奥さんは「夜日本」の人となる。生活のギャップに驚くことばかりだけれど、2人力を合わせて乗りこえる。うんうん。

ヒット曲なんかは、「夜日本」と「昼日本」で結構違うんだけれど、中には「♪夜だー踊ろうー」を「♪昼だー踊ろうー」と 歌詞を変えた2つのバージョンで、両社会でのヒットを狙う輩もいる。

「♪朝目を醒ましー」という爽やかな曲が、「♪夜目を醒ましー」となると、どうもドラキュラみたいというか、 なんか怖いな、というイメージになって、そういうことは、人々の心になんとなく、「夜日本=怖い」という図式を抱かせ続けていて、 まあ実際結構怖いです。学校のマラソン大会なんかも、暗闇の中黙々と走る。遠足も夜。肝だめしは昼。犬なんか出るとビックリする。

と、いうような、くだらないことばっかり「夜日本」の人たちが考えていて役に立たないので、「夜日本」はやっぱり廃止。

そうして戦前まであった「夜日本」は歴史からもきれいさっぱりと抹殺されまして、数少なく生き残った「夜日本」の末えいたちが、 今もこうやってくだらないことを考え続けてる訳です。

ああ眠い。今は夜の3時。明日は早起きしよおっと。


連載54:お腹がすいた
食べ物について言われることは、ほとんど全部詩である。たぶん僕らが、あれが旨いこれがうまーい、と話をしている時には、 詩の詠みあいをしてるのだと思う。イメージを刺激する。食いたくさせれば勝ちだと思う。イメージを直撃するもの。 正しいとか正しくないとかはどうでもよい。ただただイメージを直撃するもの。
詩とは人が食べ物のことを言う時に言うようなことである。

何となく合ってる気もする。

このあいだ、小蟹なんかをみんなで食っていた時、身が栗のように微妙に甘いので、 どうも実は蟹というのは果物の一種なのではないかという気がしてきた。キウイなんかと同類。 いや、又は、パイナップルなんかは蟹の一種。あれは蟹が陸に上がって樹に住みついたもの。


連載55:オリーブの秘密
さて、LIVIN' LARGE、なんて言葉があります。どういう意味かというと、デッカク行く、ということ。 買いたいものをガンガン買う。あだ名が「食う」ってなるくらい食う。 ホテル行ってプール飛びこんでシャンパン飲んで外車ぶっとばす。快楽がある所はどこへでも行くし、 寝る時はグウグウ寝る。それはそれで一つの価値観で、そういう暮らしに憧れる気持ちが、 「イチロー切れた!美女と10億!」のスポーツ新聞の見出しや、 「ぜったい欲しい!真夏のグッチ!」の女性誌のコピーを生んでいるのではないかと思います。 それはそれで、人間らしく、美しいこと。
けれど、それに対応して言うなら、「オリーブ」は、服の値段の上限を決めることで、 自然とLIVIN' SMALLと云うか、LIVIN' LARGEに対して、別の行き方を打ち出している訳です。

雑誌を作っている側には、そんな気持ちは、あまりないのかも知れませんけど、買う側の人は、 隣にスポーツ誌のような女性誌があるのに「オリーブ」を買う訳で、そこには一つ、選択があるのです。

「シャネル」に憧れない、ということ。まあ、ちょっとは憧れても、ぜったい欲しい、とは思わない、という気持ち。

そういうこととは別の行き方。もちろん、チープシック、とかいう意味ではなくて。

そこには、きっと何か他のイメージがあるのです。

そしてそれは、LIVIN' LARGEを実際に実現している人たちが、実はすごく憧れるところのものだったりするのです。


連載56:猫足のこたつ
友人がこたつを買った。引っ越した先に和室が有るので、よしこれは、と思って買ったらしい。 脚が「猫足」の、つまりヒョイッと曲がって着地するような形になっている、立派な 家具調こたつである。正方形ではなくて、長方形。6人くらい入れるが、本人は 「つめれば8人くらい座れるよ!」とか言っている。なんだよ、「つめれば」って。 つめるなよ。

しかしまあ「つめれば8人」、こそが引っ越し直後の精神状態である。 ベランダがあったから、どっかヨーロッパのカフェにあるような大きな日傘買っちゃうとか、 キッチンの収納計画を異常に効率的になるように、綿密にたててみるとか、 やたらプランターを買ってきちゃうとか、絶対に現実化しない夢の暮らしを 普通に思い描いてしまうのが、引っ越し直後というものである。 そういう意味では、恋愛開始早々の時期に似てるのかも。

一度でも、一人暮らしの、引っ越しをしたことがある人なら、痛むところがあるはず。

引っ越し直後というのは、人生の泥酔状態である。まともな判断は一つも出来ない と言ってもよい。水道の蛇口を一日かけて取り換えてみたり、壁に間接照明をつけてみたり、 3日くらいハンモックで寝てみたり、普段はだいぶ地に足ついてる奴でも、 特に最初の何回かの引っ越しでは、いや年とって1軒家とかもったら 更に凄そうだが、完全に酔ってしまう訳です。 異常な言動、異常な行動が、しばらく目につきます。

しかし、そのうちに、「つめれば8人」のこたつは、ゲーム機とか、読みかけの雑誌とか、 なぜか「天津甘栗」の袋とか出てきたりして、「定位置2人、どうにか3人」 くらいのこたつに成り下がったりする。こたつの四辺あるうちの一辺は、 テレビが接近してきて、人が座るスペースはないのである。

ベランダの日傘は、台風の時に大家さんから危険だから閉じて柵にくくりつけてくれ と言われてそのままだし、キッチンの収納計画は物量の増大にともなって破たん (フライパンを2つ買ったのがまずかった)、プランターに至っては なぜかレコード入れになってしまう、とか、まあそれが人生というものです。 (オレ自身の話ではありません。)

然し今は、「つめれば8人」だから、実に快調、こたつも綺麗。 お茶は心の鏡だからうまいし、みかんも有るし、天津甘栗もある。 こたつ買ってみようかなあ、なんて僕も思う。

然し、然しが続くが、こたつはどうも健康に悪いんじゃないかという気がする。 やる気なくなるし。あれは「暖房器具」というよりは「娯楽用品」に近い気がする。

あったかいのだが、そのあったかさが、何かをするための暖房、というよりは、 それ自体を楽しむものになっている気がする。 会社やなんかが、部屋じゅう寒かったら効率は下がると思うが、部屋じゅうこたつでも 同じくらい効率は下がる気がする。あったかいんだけどねー。

こたつはやはり、お酒とか、ボウリングとか、スポーツカーとか、 そういうものに近い気がする。 娯楽用品だから、税金なんかはがっちり掛ってよいと思う。こたつ税。 税金とられるの嫌だから、こたつ有るの隠したりするんだけど、税務署の人が来て、 奥さん、うちも一台までは大目に見てるんですが、二台あっちゃねー、 とか言って、ひと冬三万くらい取られる。(一台一万五千円)

勿論ストーブやヒーターは、あれは生命維持に必要なものなので無税でよい。 なんなら支給してもよい。 ヨーロッパで大寒波、五千人死亡、とかいう時は、やはり暖房くらいどうにかならんか、 と思うが、それでじゃあこたつが支給されたらどうかと言うと、みんな カッカッカッとか笑って意気投合してこたつ入ってる訳で、それはなんか違う気がする。 こたつの支給はダメね。

支給どころか、外国に輸出された、という話も聞かない。 タタミ、や、フトン、と言えばちょっと国際語だが、コタツ、オー!という図は あまり浮かばない。禁止なんじゃないの。 日本にきて、コタツ解禁デスカラネ、とか言って、しめしめと入ってる。 まあ密輸もしにくいし。(でかいから)

もうすぐ春だから、今のうちにしっかり入っておこう。 でも春が来てから入るこたつを、「名残りごたつ」と言って昔の人は珍重したとかしないとか。 3月下旬くらいに他人の家に行って、まだこたつが出ていると、 お、名残りごたつですね、とか言ってみんなで嬉しそうに入る。 4月に入ってまだ出てるこたつなんかは特に珍重されて、「落ちごたつ」 と言って、入った客人に福を呼ぶとか呼ばないとか。

名残りごたつに落ちごたつ。春はもーすぐ。


連載57:コックピット



連載58:ぶらり「トロイカ」



連載59:それは言えません
漢字の読みマチガイというのは誰しもすることです。本の「装丁」を「そうちょう」と読んでみたり、 しかも漢字の読み方は、一回誤って覚えてしまうと、ずっと間違って言い続けてしまうものなのです。

ですから、誰かが「あの映画結末がハジョウしちゃってて」、と言うのを聞いて、おや、これはきっと「破綻」のことだぞ、 と思うのですが、話の流れにまかせて放っておくと、その人はまた「ほんとハジョウしちゃってんだよ」とか言う訳です。 それで、あ、まずいなこの人、「はたん」だろ「はたん」、と思うのですが、まあその日はそれで流れてしまって、 そんなことはすっかり忘れて数ヶ月たって、忘れた頃にまたその人が言うのですよ。「お前、話がハジョウしてるよ。」

まずい。

なんの悪気もなく、ニコニコと笑いながら、「ハジョウ」と言い放つ彼の顔を見ながら、突然過去の記憶がよみがえる訳です。 ……そうだ、こいつは「ハジョウ」の人だった、あの時も……笑いながら「ハジョウ」と言っていたっけ……あの夏の日……と、 記憶をたどるのですが、それにしても、今、この場で、「お前、それハジョウじゃなくて、ハタンだろ。」と言うのは、 今までのツケを全部払わせる様で、その人の長い「ハジョウ」歴を考えると、オレが? このオレがそれをくつがえしていいのか? とか色々な考えがめぐって、本当に、その人が「ハジョウ」と言うのを初めて聞いた時に、「ハタン」だろ、 と言えればどんなに良かったか、過去を悔いてもはじまらず、今は時間は重すぎて、雨に打たれながら帰る帰り道、 心の声はこう囁くのです。

「それは言えません。」

まあ、これは多少脚色過多な所がありますが、そう思いませんか? 言い間違えを聞く回数に比例して、 指摘しにくさは増大する。しかも、読み間違えている。当の本人には、何の罪もないだけに、いいよ、アンタ、 もうこうなったらオレも「ハジョウ」って読むことにするよ、と思いながら、誰か初めて会う人が、アラそれ「ハタン」でしょ、 とでも言ってくれないかと、祈ったりするのです。

そしたら、オレも調子を合わせますよ。涙をのんで。調子をあわせて。ウソー、あれ「ハジョウ」じゃないの、 読んじゃわないか? とか言って。

しかし、そんな人は現れず、相手が「ハジョウ」と言う度に、頼む、オレとお前との関係を、それこそ「破綻」させたくないならば、 もう「ハジョウ」はやめてくれ、と思いながら、今夜も雨に打たれながら、家路につくのです。

それで、色々考えて、なぜ指摘しにくいか、という理由の一つに、それが、割と、張り切って使った言葉の場合が多いから、 というのがあるのではないかと思うのです。普段の会話の中で使う言葉、たとえば「冗談」というのを、 「アナダン」と読む人は余りいないと思うのです。しかし、怒って真面目なことを言おうとした時、 人は普段使わないようなボキャブラリーを使って、勢い余って読みまちがえてしまう。そんな悲しい事実があるのです。

そして、言い間違えられた方も、しまったあ、と思いながらも、相手は怒っている、若しくは熱く語っている最中だ、 ここで水をさすのはマズイ、という気持ちで、指摘できないでいるうちに、傷はどんどん深くなっていって、まずい、 今言ったら話を全部覆すようだ、という心理のもと、読み間違いは放置されてしまうのです。

そして、そんな事が何回もあってご覧なさい。もう、本当に言えませんよ。泣き寝入りですよ。

タブーというのは、例えばセックスについての話なんかそうですが、どんどん無くなる一方ですが、そんな中で、 漢字の読みまちがいは、個人と個人との深いミゾ、乗り越えられない壁みたいなものを、なんか感じさせますね……孤独と孤独との、 境い目みたいなものを……なーんて真面目に語ろうとする時に、普段使わない単語を使おうとして、 人は間違ってしまうのですなあ。

僕の友人に、長いこと、「フィアンセ」というのを「ファインセ」だと思ってた人がいます。こういうのは、 チェッ、外国の言葉なんて知らないよ、という感じで、好感が持てるというか、例えば女の子に結婚を迫られて、 ゴメン、オレ……ファインセがいてさ、と言ったら、女の子はハア? っとなりながらも、それフィアンセじゃないの? とか言って、 二人は笑って結婚まっしぐら、なんてことも有り得ます。(そんなことはないかな)これは、割と微笑ましい例。

そう言えば、昨年のアトランタ・オリンピックで、マイケル・ジョンソンという、陸上の200mと400mで優勝した、 すごい選手がいたのですが、NHKの放送で、ゴールした瞬間に、アナウンスの興奮が頂点に達したのか、 「やりましたー!! マイケル・ジャクソーン!!」と叫んでしまった人がいたらしく、その瞬間国民の脳裏に浮かぶのは、 体を前に倒して、顔を歪めてゴールする、マイケル・ジャクソンの姿で、この場合は競技とは全く関係ないものの、 絵としてはちょっとイイですね。

お互い、傷が深くなる前に、言うことにしましょうよ。


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